近年、エンゲージリング(婚約指輪)やマリッジリング(結婚指輪)に刻まれている、ジュエリーブランドのロゴ刻印が、いつの間にか使ってる間に消えてしまった、又はメンテナンスをお願いしたら消えていた、といった相談を受ける機会が個人的にも増えてきました。
「2~3年で消えてしまったから、自分が購入したブランドのジュエリーは偽者だったのではないか」
「本物のブランドで取り扱っている正規の商品ではなかったのではないか」
こういったお声を耳にする事もしばしばありますが、安心して下さい。
消えてしまったからといって、必ずしもそのジュエリーが本物のブランドで取り扱われている品ではなかったという訳ではありません。
今回の記事では、ブランドロゴなどの刻印が消えてしまう原因と、刻印が打刻される際の手法、つまりどうやって打刻されているかという部分にクローズアップしていきます。
問題は、打刻の仕方にあります。
刻印を打刻する手法
大きく分けると、ジュエリーを制作する世界では3種類の打刻方法が存在します。
- 手動の文字彫機を使用して打刻する方法
- 手打ち刻印を使用し、1文字1文字手で押し打刻する方法
- レーザー刻印機にセットし、パソコンで出力した文字をレーザー刻印する方法
文字彫機刻印
この手法は比較的古く、最近使用されているのを殆ど見かけません。
基本的にこの機械は指輪専用にはなります。
機械のホルダーにリングをセットし、数字やアルファベットの文字が刻まれた大きな円盤を機械にセット。
レバーを下ろして円盤の文字をなぞると、ホルダーにセットされた針先がレバーと連動しリングに同じ書体の文字をリング内側に刻む、といった仕組みとなっています。
アナログな操作方法なので、リングをカチカチと少しずつ回転させるのも手のさじ加減です。回転させる距離で文字と文字の間隔が決まります。
昔はジュエリーブランドの店頭で、店員がその場で名入れしてくれるようなサービスも存在しました。(もちろんやってた店員は職人でも何でもない、ただの販売スタッフです)
僕の場合は、50年や60年前にお客様が購入されたジュエリーを預かり、追加加工したり修理したりする事があるので、元々入っている刻印が文字彫機で打刻されているものだと同じような質感になるようあえて再度文字彫機を使用して打刻する時があります。
一般的にはこの機械を今でも所持しているブランドや工房は少ないでしょう。
多少の慣れが必要ですが、慣れれば比較的誰にでも簡単に打刻する事が出来る機械です。
手打ち刻印
1文字1文字を、職人の目検討で手で打っていく手法です。
手加工で制作する工房等には必ず数字やアルファベットの手打ち刻印が置いてあります。
小さなジュエリーや細かい場所に打刻するのには0.4mm~0.50mmの刻印。
細身のエンゲージやマリッジなど1番頻度が高く使用される大きさは0.6~0.7mm刻印。
しっかりと肉眼でも見えるようにある程度ボリュームや幅がある場所に打刻する場合は0.8mm~1.0mmの刻印が使用されます。
0.5mmや0.7mmでは他の刻印と0.1mmしか変わらず半端なので、大体0.4mm、0.6mm、0.8mm、1.0mmといった0.2mm飛ばしの刻印がメインになってきます。
無論これは僕が十数年間職人として加工の仕事をしてきた事からくる経験則なので、ブランドや商品によって大きさも区々です。
手打ち刻印の最大のメリットは、何と言ってもメンテナンスが出来る事です。
どういう事かと言うと、キズが付いたり磨耗したりして刻印の文字が浅くなってきたら、再度同じ位置に上から合わせて深く押し直す事が出来るのです。
これによりメンテナンス、修理、追加加工でお預かりする際に刻印も一緒に打ち直す事で、常に深くしっかりと押された状態を保つ事が出来るのです。
どこの工房でも必ず押し直してくれる訳じゃないと思うので、もしメンテナンスや修理に出す際気になる部分があれば押し直しの希望を伝えると良いでしょう。
もちろん押し直しをお願い出来るのは、預ける品に手打ちの刻印が施されてるもののみです。
今でも僕が勤める工房では、全ての刻印は1文字1文字職人の手打ちである理由がまさにこのメンテナンスが可能な事が理由となっています。
文字の持ちも1番良く、しっかりと深く押せば使用環境や頻度にもよりますが、何十年も長持ちします。
手打ち刻印は文字を打つ職人の錬度によって仕上がりが変わるので、綺麗に文字間を揃えたりバランスの良い場所に打刻するには熟練した職人による加工が必要となります。
たかが刻印・・・されど刻印。
正直加工側からすると金額が取れる部分ではありませんが、この手打ち刻印は国内外の厳しい検品のブランドの商品を1発で通すレベルとなると毎日やっても数年はかかります。僕はほぼ毎日打ち続けて2年程かかりました。
(都内で1番厳しい工房で経験済み)
レーザー刻印
研磨したジュエリーを機械にセットし、パソコンで編集、出力した文字をレーザーで照射出来る手法です。
大手のメーカーの大半は、今はこのレーザー刻印が主流となっています。
手打ち刻印で加工していたブランドも、どんどんレーザー刻印へとシフトしています。
メリットとしては、職人の錬度によって仕上がりが変化する手打ち刻印とは違い、打つ場所の調整だけすれば文字の大きさやフォント、文字間隔などは必ず毎回同じものになります。
実際には若干機械の癖があったり、コツを掴まないと綺麗に打とうと思うと難しい部分も存在するのですが、何年も職人に修行をさせる手間や時間をかける事無く、慣れれば簡単に誰でも打つ事が出来るので当然メーカーや加工会社にとってはコストの削減に繋がります。
また、1本にかかる打刻時間を短縮する事により、1日に打刻するジュエリーの本数を上げる事が可能となりました。
こうした生産性の向上とコストの削減を目的とし、量産するブランドやメーカーであればほぼ今はレーザー刻印で打刻されています。
なぜレーザー刻印はすぐに消えてしまうのか
手打ちでもレーザーでも金属の表面に文字を彫る事には変わらないのに、どうしてレーザー刻印で打刻された文字は簡単に消えてしまうのか。
それは生産効率を重視したメーカー側の打刻の深さと関係があります。
生産性だけを求めた代償が消える刻印を生んだ
先程レーザー刻印の説明をする際にも触れましたが、加工の生産性を上げる即ち、1日に可能な限りリングなりペンダントなり1本でも多くの本数にレーザー刻印を打刻する為、1本に照射する時間を極端に少なくしています。
これをする事によってどういった事が起こるかと言うと・・・
照射時間が短い = 彫る深さが非常に浅い
という事になります。
折角の刻印が綺麗にレーザーで彫られていても、非常に浅い刻印では少しでもキズ付いたり、仕上げ直しで研磨するとすぐに消えてしまうのです。
ブランドやメーカーが、レーザー刻印を深く打つ事を嫌う理由
きっと皆さんが次に疑問に思うのは、「じゃあ深くレーザーで打てば問題は解決するのではないか?」という事ではないでしょうか。
もちろん機械の性能的に可能ですし、深く打つ事で簡単には消えない刻印を打刻する事が可能です。しかし、メーカー側に1つだけ問題が生じてしまうので、浅く打たざるを得ないのが実は現状なのです。
レーザー刻印のメカニズム
深く打刻する事で生じる問題を説明する前に、まずはレーザー刻印の深さを決めるメカニズムを説明しましょう。
レーザー刻印の機械で文字を照射、刻印する際に、その刻印の彫りの深さは “どれぐらいの強さで何回繰り返し文字を打つのか” で決まります。
仮にABCという刻印を打刻するとします。レーザーの機械の種類によって調整出来るパラメーターは違いますが、(今回は機械の性能的な部分は全て省きます)基本的にはABCとAから順番に3文字を打っていきます。
Cまで打ち終わったらまたAに戻り3文字を順番に同じ位置に上から繰り返し打ちます。
繰り返し照射する回数をより多く打つ設定にする事により、だんだん深く彫り進める事が出来るのです。
レーザー刻印を深く打つ事で生じる問題と、それをメーカーやブランドが嫌う理由
レーザーは人の手と違い、照射する面に対して文字通り垂直に彫っていきます。
簡単なマウススケッチですが、ざっくりと断面図のイメージの説明をするとこんなイメージです。
ヘコミ部分が刻印を手押しした際に出来た溝と見立てています。
そして、オレンジ色の矢印が光を表します。
レーザー刻印で彫られた壁が垂直であるが故に、深く打てば打つ程に打刻した文字の底まで光が届きにくくなっています。レーザー刻印で深く打つと僅かな光しか打刻した文字の底に届かずに、文字が黒く見えてしまうのです。
一方、手打ちで打刻した刻印は上下左右に多少振りながら打刻する為、打刻した表面と文字の壁の境は垂直ではなく、より広く上に向かって開いているので底まで光が届きやすくなります。
手打ち刻印1つ1つも細かい部分の仕上げは手加工された道具であり、それを人の手で打っていくので当然機械的な垂直方向の溝にはなりません。
当然メーカーやブランドは文字が黒くなってしまうのを避けたいので、光が届き文字がはっきりと明るく見える範囲の深さで彫るので、結果的にレーザー刻印は非常に浅く彫る事になります。
実際に仕事であった、こんな話
これは僕が自分でも様々なブランドやメーカーに依頼され仕事で体験してきた事なのですが、僕の修行時代は日々仕事をもらっているブランドやメーカーがこぞって手打ち刻印からレーザー刻印に切り替わる時代でした。
各取引先からレーザー刻印用のブランドロゴデータを渡され、社内にレーザー刻印機を導入し、新たな加工業務がスタートしました。レーザー刻印機も様々な種類が存在しますが、その殆どが非常に高額なものでした。
しかし、取引先からは「機械を導入して引き続き仕事をしてもらえないなら、他の機械を所持している加工場に仕事を出す」と言われ、特に大きなメーカーやブランドからの仕事は仕事量がそれなりにあったので、会社としても断れず苦渋の決断でした。
製品の見た目にも大きく影響する為、各取引先へとレーザー刻印を打って仕上げたサンプルを提出していたのですが、仕事を投げてくるメーカー側も機械については無知だったので、当初はどのメーカーやブランドも「今まで通り手打ち刻印で打っていた深さぐらいでレーザーも打ってくれれば良い」といったような対応でした。
当然、実際に同じような深さでレーザー刻印すると文字の中が黒く見えてしまうので、案の定サンプルを提出したら「何で文字の中がこんなに暗いんだ、もっと明るく見えるように加工してくれ」、と言われました。
後日、浅く彫り綺麗に白く見えるようになったサンプルを送ったら採用されました。
仕事を投げている側も自分達で製造をしていない企業は、何故文字の中が暗く見えてしまうかなんて誰も知らなかったのです。
こんな場合はすぐにレーザー刻印が消えてしまう
一般消費者がよく遭遇してしまう、レーザー刻印文字が消えてしまうパターンをご紹介します。
キズが付いて消える場合
リング、ペンダント、ブレスレットなど、どんなジュエリーアイテムでもレーザー刻印は非常に浅く打刻されている為、ジュエリーをアスファルトに落としたり、固い物にぶつけたり、日々使用する中で何かと擦れて磨耗をしていくと、当然消えてなくなっていきます。
リングの場合は内側に刻印が打刻される場合が多いですが、ブランドによっては外側にブランド刻印が見えるよう打刻されているものも多く存在します。
また、一部の特殊な素材を除き、ほとんどのジュエリーが人の手で加工が出来る金属、”貴金属” を使用して作られているので、磨耗し磨り減っていきます。
仕上げ直しで消える場合
仕上げ直しとは、ジュエリーに細かいキズが付き輝きが無くなったものを研磨し直して、再度輝かせる加工工程の事です。
厳密には貴金属の表面を一皮向いて削る事で綺麗な光沢を出し直します。
つまり薄く金属の表面を取ってしまう為、そこに打刻されている文字が薄れたり消えたりする可能性があります。
サイズ直しで消える場合
これはリングにのみ適用される条件ですが、サイズが合わなくなると必ずリングのサイズ直しが必要になります。
リングを一度カットして小さくしたり大きくしたり調整をした後、丸い綺麗な真円の形に戻す為に芯金という金属の棒にリングを入れて叩いていきます。
この金属の棒に入れて叩く際、リング内側に強い衝撃が加わる事が避けられないので、リング内側に入っているブランド刻印をはじめとするレーザー刻印は、残せたとしてもうっすらと残る程度で、ほとんどの場合は消えてしまいます。
より長くレーザー刻印を持たせる為には
様々な要因で消えてしまうレーザー刻印を、より長く持たせる為に出来る事としては・・・
使用頻度を制限する
マリッジリング(結婚指輪)であれば毎日着用したい方には難しいお話になってしまいますが、根本的に着用している時間、着用する回数や機会を減らす事で日常的な磨耗や、キズを付けるリスクを少しでも減らす方法です。
磨耗する環境下では着用しない
ペンダントと着ている服についた金具などの金属部分が擦れる、リングにカツカツと何か固いものが当たる作業をしないなど、貴金属が磨耗するような作業をする場合はなるべく着用しない、というのも1つの手です。
修理やメンテナンス時に加工先へ細かく注文する
仕上げ直し、サイズ直しなど、何かメンテナンスや修理に出す際に、なるべくレーザー刻印を消さずに残すように加工先へお願いしてみましょう。
例えばリングのサイズ直しも、形の綺麗さよりも内側の刻印を残す事を重視したいと申し出れば、多少真円ではなくても、形を出しなおす際にガンガンと強く芯金で叩かれる心配はないでしょう。
(もし細かく親切に対応してくれる場所であればのお話です)
この機会に是非皆さんが普段着用しているジュエリーに打刻されている刻印を確かめてみて下さい。
この記事を読んで頂いた方達が、少しでも大切なジュエリーを長く楽しめますように。